Thursday, June 22, 2023

二都物語の日本語訳 (精読)- 3

 

青空文庫は、残念ながら第二部第九章<ゴルゴンの首>までしかない。<ゴルゴンの首>はクライマックスの一つだが、暗示部分が多いのでわかりにくいところが多い。<ゴルゴンの首>の前に第七章<都会における貴族モンセーニュール>、第八章<田舎における貴族 (モンセーニュール) >があって、<ゴルゴンの首>につながる筋立てだ。都会における貴族 (モンセーニュール) >後半部に伯爵の馬車が小さな子供をひき殺す、あるいは馬車の馬に蹴り殺される場面がある。ここでなぜか酒店の店主ドルファンジュ氏とその夫人とおぼしき編み物をしている婦人ごく少しの間だがでてくる。 

青空文庫

彼 (伯爵) は、ちょっと前まで酒屋のドファルジュが立っていた場所に眼をやった。が、その場所にはさっきのあの (子供をひき殺された) 哀れな父親が鋪石しきいしの上に俯向になってひれ伏していて、その傍に立っている人の姿は編物をしている一人の浅黒いがっしりした婦人の姿であった。

 暗示のためドファルジュ夫人と書かれていない。また (子供をひき殺された) 哀れな父親、こちらの方はガスパールという人物名がでてくるが、この人物は第一部第五章<酒店> ででてきた

壁に、――となぐり書きした
joker剽軽者 (青空文庫)、道化者 (新潮文庫) 

のガスパールだ。

この箇所は、ごく短いがクライマックス<ゴルゴンの首>の伏線になっている。ところで章のタイトルだが、青空文庫訳では

第七章 都会における貴族 (モンセーニュール)
第八章 田舎における貴族 (モンセーニュール)
第九章 ゴルゴンの首

新潮文庫では、原文は次の通り。

第七章 街の侯爵
第八章 田舎の侯爵
第九章 ゴルゴンの首

原文は次の通り。

CHAPTER VII. Monseigneur in Town
CHAPTER VIII. Monseigneur in the Country
CHAPTER IX. The Gorgon’s Head

Monseigneur はフランス語で、訳しにくい。 侯爵は新潮文庫の文章の中では Monsieur the Marquis の訳となっている。

<第七章 Monseigneur in Town>の出だしは 

Monseigneur, one of the great lords in power at the Court, held his fortnightly reception in his grand hotel in Paris 

新潮文庫の出だしは

宮廷でも抜きんでた貴族であるその閣下は、パリの豪邸で二週間に一度の接見会を催していた。

閣下となっている。これはタイトルの<街の侯爵>からは予期せぬ出現だ。新潮文庫には文章内の簡単な注以外に注はない。したがって<閣下>とはだれか、何かは読者の推測に任せられているが、この閣下は特定しにくい。ところで、ここでは<その>がついて<その閣下>となっている。この日本語の<その>はなにか?、は面白いところだ。前に指摘した(二都物語の日本語訳 (精読)-2)と関連があろう。


問題は<あの最後の表情は>で、新潮文庫では
 
額に例の最後の表情を、まるで彫刻か焼き印のよう張り付けて
 
例の最後の表情>
 
になっていて、<最後の表情>が前にもあったように書かれている。だが原文の
 
and with that last expression looking as if it were carved or branded into her forehead. 
 
 that last expression は<あの>でも<例の>でもない。ここは日本語では<その>が正しい。

その最後の表情はまるで彼女の額にきざみ込まれたかきつけられたかのように見えた。
 
 額に、その最後の表情を、まるで彫刻か焼き印のよう張り付けて
 

で意味が通じる。 

だが、日本語では<その>がなくてもOKだ。

最後の表情はまるで彼女の額にきざみ込まれたかきつけられたかのように見えた。

額に最後の表情を、まるで彫刻か焼き印のよう張り付けて

 ”

さて話は戻って、青空文庫の出だしは

宮廷において政権を握っている大貴族の一人であるモンセーニュールは、パリーの宏大な邸宅で、二週間目ごとの彼の接見会リセプションを催していた。

で原文をそのまま使って、日本語に訳していない。モンセーニュールには長い<注>がある。

モンセーニュール

これから三章は場面がフランスへ移り、人物はしばらく一変するが、やがて前に出た人物も登場して加わる。前章と同じく一七八〇年の夏。フランス革命の起る九年前である。この章の前半のモンセーニュールは当時のフランスの貴族の象徴的人物であり、ここに、フランスの王政封建時代末期の支配階級の戯画が、モンセーニュールのパリーの邸宅における接見会リセプションの場面によって、描き上げられる。この戯画もまた実に傑れており、第一巻第五章のあのサン・タントワヌ区の画面と対照されて効果的である。この章の後半からは、そのモンセーニュールの接見会リセプションに出席したある侯爵が主な人物となる。例によってその人物の肖像画。彼はそこを去り馬車を駆って街々を驀進し、平民どもを蜘蛛の子のように散らし、その挙句ガスパールという男の子供を轢き殺す。その場へあの酒店の主人ドファルジュが現れる。一人の人間を殺して、金貨を一枚投げ与え、何かの品物を壊してその賠償をすませたかのようにまた馬車を駆って去る侯爵。その侯爵をただ一人きっと見つめるマダーム・ドファルジュ。それから、馬車で流れ去る仮装舞踏会のように著飾った上流人士。自分たちの穴から出てそれを眺め続ける鼠のような貧民たち。昼は夜となり、仮装舞踏会は晩餐の明るい灯火に輝き、鼠は暗い穴の中でくっつき合って眠り、万物はそれぞれの道を流れる。

この章の後半からは、そのモンセーニュールの接見会リセプションに出席したある侯爵が主な人物となる。

とある。これ以後このモンセーニュールというこの人物は出てこないのが、原文の次の第八章のタイトルは

CHAPTER VIII. Monseigneur in the Country  

だ。青空文庫はこれを踏襲している。実際、第八章にも Monseigneurという語が出てくるが、それは<敬意を示した呼びかけ>に使われているのだ。上で出てきた侯爵は<Monseigneur>と呼びかけられている。一例をあげると

第八章<田舎における貴族 (モンセーニュール) > 青空文庫

閣下モンセーニュール、仰せの通りでござります。お途中で手前めの傍をお通り遊ばしました。

第八章 田舎の侯爵 新潮文庫

 はい、閣下、光栄にも途中でお目にかかりました。

 原文

“Monseigneur, it is true. I had the honour of being passed on the road.” 

田舎では侯爵さまも閣下と呼ばれる、ということか。

一方 第七章都会における貴族 (モンセーニュール)、街の侯爵、では

青空文庫

「おいおい、お前は哲学者じゃのう。」と侯爵が微笑ほほえみながら言った。「お前は何という名前かな?」
「ドファルジュと申します。」
「何商売じゃ?」
「侯爵さま、酒屋で。」

新潮文庫

 侯爵様、酒屋でございます。

 原文

“You are a philosopher, you there,” said the Marquis, smiling. “How do they call you?”

“They call me Defarge.”

“Of what trade?”

“Monsieur the Marquis, vendor of wine.”

Monsieur the Marquis=侯爵様、で問題はない。 


さて、クライマックスがある第九章<ゴルゴンの首>の話だ。

 ゴルゴンは青空文庫に次のような解説がある。

一目であらゆるものを石に化せしめるというゴルゴン (人物) . . . . . .

この後にこの章の話の解説があるのだが、暗示の内容説明もあって、ストーリーがわかってしまうので、ここではコピー、ペイストしない。

よくわからない箇所は主に暗示部分だ。


第八章
<田舎における貴族 (モンセーニュール>


白髪雑しらがまじりの道路工夫が登場してくる。

侯爵との会話はつぎのとおり。

青空文庫

"
「わしは途中でお前の傍を通ったようじゃが?」
閣下モンセーニュール、仰せの通りでござります。お途中で手前めの傍をお通り遊ばしました。」
「丘を登っている時と、丘の頂と、二度じゃな?」
閣下モンセーニュール、仰せの通りでござります。」
「お前は何をあんなにじいっと見ておったのか?」
閣下モンセーニュール、手前はあの男を見ておりましたのでござります。」
 彼は少し身を屈めて、自分のぼろぼろになった青い帽子で馬車の下を指した。他の者どもも皆身を屈めて馬車の下を見た。
「どの男じゃ、豚め? そしてお前はなぜそこを見ておるのじゃ?」
「御免下さりませ、閣下モンセーニュール。奴はその歯止沓はどめぐつ――輪止の鎖にぶら下っておりましたんで。」
「誰がじゃ?」とその旅行者が問うた。
閣下モンセーニュール、あの男のことで。」
「この阿呆どもめは悪魔にさらわれてしまうがいい! その男は何という名前か? お前はこの辺の者を一人残らず知っておるじゃろう。そやつは誰だったのじゃ?」
「へえ、閣下モンセーニュール! そいつはこの辺の者じゃござりませなんだ。生れてからこっち、手前はそいつを一度も見たことがござりませなんだ。」



ここで<あの男>と言及されているが、侯爵には<どの男>だかわからない。だが白髪雑(しらがまじ) りの道路工夫にはよくわかっているのだ。原文は

“Monseigneur, I looked at the man.”

He stooped a little, and with his tattered blue cap pointed under the carriage. All his fellows stooped to look under the carriage.

What man, pig? And why look there?”

“Pardon, Monseigneur; he swung by the chain of the shoe—the drag.”

Who?” demanded the traveller.

“Monseigneur, the man.”

“May the Devil carry away these idiots! How do you call the man? You know all the men of this part of the country. Who was he?”

“Your clemency, Monseigneur! He was not of this part of the country. Of all the days of my life, I never saw him.”

“Swinging by the chain? To be suffocated?”

“With your gracious permission, that was the wonder of it, Monseigneur. His head hanging over—like this!”

この箇所、新潮文庫の方は<あの男>の<あの>がない。

 新潮文庫

「ここへ来る途中でお前を見かけた気がするが?」
「はい、閣下。光栄にも途中でおめにかかりました」
「丘を登る時と、丘の頂の両方で?」
「さようでございます、閣下」
「何を熱心に見ていたのだ?」
「閣下、男を見ておりました」
  道路工夫は少し屈み、ぼろぼろの青い帽子で馬車の下を指した。だれもがを屈んで馬車の下を見た。
「なんの男だ、このやくたたずめ。どうしてそんなところを見ている?」
「お赦しください、閣下。その男はぶら下っていたのです - 車輪の歯止めの鎖に」
「それは誰だ」侯爵は訊いた。(ここ、旅行者と訳されていない)
「閣下、男でございます」
「こういう馬鹿どもは悪魔にくれてやる! だからその男の名前はなんなのだ。このあたりに住む男は全員知っているだろう。そいつは誰だ?」
「どうかご慈悲を、閣下! このあたりの男ではなかったのです。今までに人生で一度も見たことがございませんでした」


で、原文の the man にかかわりなく<その>なしの<男>がつかわれて、効果を出している。

“What man は<なんの男だ>なっているが、日本語としてはおかしい。

<その旅行者>とはだれか?

これはこの箇所のまえに

侯爵閣下は、四頭の駅馬と二人の馭者とによって嚮導された、彼の旅行馬車(それはいつもの馬車よりは軽快なものであったかもしれなかった)に乗って、嶮しい丘をがたごとと登っていた。

とあり、侯爵閣下はの旅行馬車に乗ってきたのだ。したがって侯爵は旅行者だ。この<その旅行者>は、言い方をかえているが、この侯爵のこと。これは英文ではよくあることで、侯爵、侯爵、侯爵、彼、彼、彼では文章が単調になるからだ。

ここでのポイントはこの白髪雑りの道路工夫が<男>を見ていることだ。第九章<ゴルゴンの首>では、意味深長な描写が多い。


「あれは何じゃな?」と彼は、例の黒色と石色との水平の線のところをじっと気をつけて見ながら、静かに尋ねた。
閣下モンセーニュール? あれと仰せられますと?」
「鎧戸の外じゃ。鎧戸をけてみい。」
 その通りにされた。
「どうじゃ?」
閣下モンセーニュール、何でもございませぬ。樹と闇とがあるだけでございます。」
 口を利いたその召使人は、鎧戸をさっとけて、顔を突き出して空虚な暗闇を覗いて見てから、振り返ってその闇を背後にして、指図を待ちながら立った。
「よろしい。」と落著き払った主人が言った。「元の通りにめろ。」

中略 (ここは長い中略で、侯爵と甥のチャールズ ダーネイの顔合わせ、会話がある)

彼は華美な彼の寝室を端から端まで行ったり来たりしながら、ひとりでに心に浮んで来るその日の昼の旅行の断片を再び眼にしていた。日没頃に丘をのろのろと登って来たこと、沈みゆく太陽、下り坂、製粉所、断巌の上の牢獄、凹地にある小さな村、飲用泉のところにいた百姓ども、馬車の下の鎖を指し示していた青い帽子を持った道路工夫などである。その飲用泉は、パリーのあの飲用泉と、段の上に横わっていたあの小さな包みと、その上に腰を屈めていた女どもと、両腕を差し上げて「死んじゃった!」と叫んだ脊の高い男とを思い起させた。

中略

こういうすべての些細な出来事は、毎日毎日きまりきって、朝が戻って来るごとに、あることであった。が、館の大鐘の鳴り響いたことや、階段を駈け上ったり駈け下りたりすることは、確かに、いつもあることではなかった。また、露台テレスをあわただしく動く人の姿も、ここでもかしこでもどこでも長靴を穿いてどかどか歩きることも、急いで馬の鞍に跨って駈け去ることも、確かに、いつもあることではなかった。
 このあわて急ぐことをどんなかぜが例の白髪雑しらがまじりの道路工夫に伝えたのであろう? 彼は既に、村の向うの丘の頂で、その日の弁当(持ち運びえのしない)を鴉でもついばむだけの骨折甲斐のない包みにして積み重ねた石ころの上に置いて、仕事にかかっていたのに。空飛ぶ鳥が、そのあわて急ぎの穀粒を遠方へ運んでゆくうちに、鳥が偶然に種子を蒔くことがあるように彼の上に一粒を落したのであろうか? それはいずれにしても、その道路工夫は、その蒸暑い朝、膝までほこりに埋めながら、まるで命がけのように丘を駈け下りてゆき、飲用泉のところへ著くまでは一度も止りはしなかったのであった。
 村のすべての人々は飲用泉のところに集り、いつものふさぎ込んだ様子であたりに立って、低い声で囁き合っていたが、しかし冷かな好奇心と驚きよりほかには何の感情も現さなかった。(中略)館の人々の何人かと、宿駅の人々の何人かと、租税を取立てる役人の全部とは、多少の武装をして、何もない小さな街路の今一方の側に役にも立たないようなのにかたまっていた。既に、例の道路工夫は五十人の特別に親しい友達のむれの真中へ入り込んでいて、あの青い帽子で自分の胸を敲いていた。こういうすべてのことは何を前兆したのであろう? また、ムシュー・ガベルが馬上の召使の背後にひらりと飛び乗ると、馬が(荷は二倍になったにもかかわらず)、そのガベルを、ドイツの民謡のレオノーラを新たに演じたように、疾駈はやがけで運び去ったのは、何を前兆したのであろう?

 それは、彼方かなたの館で石造の顔が一つだけ多くなったことを前兆したのであった。

<それは、彼方かなたの館で石造の顔が一つだけ多くなったことを前兆したのであった。>も暗示表現なのだが、察しのいい読者は何のことか推測できるだろう。そしてこれに続くこの章の最後は

ゴルゴンが夜の間にその建物を再び検分して、不足していた一つの石造の顔を附け加えたのである。ゴルゴンが約二百年の間待ちに待っていた石造の顔を。
 その顔というのは侯爵閣下の枕の上に仰向に寝ていた。それは、突然ぎょっとさせられ、憤怒させられ、石に化せられた、精巧な仮面のようであった。その顔にくっついている石の体の心臓には、一本の短刀が深く突き刺してあった。そのつかに一片の紙が巻きつけてあって、その紙にはこう走り書きしてあった。――
彼を速く彼の墓場へ運んでゆけこれはジャークより。」

で、書かれてはいないが、侯爵が殺されたことがかなりはっきり推測できるだろ。


白髪雑 (しらがまじ) りの道路工はその後もたびたびでてくる。しかも同じ話(馬車の下に隠れていた男の目撃)でだ。長い話は第二部第十五章<編み物>の中にある。三人のジャックとドファルジュ氏と編み物をしている夫人の中で、目撃者として質問され、そして発言する場面だ。ドルファンジュ氏がパリまで連れてきたのだ。だがわかりにくいところがいくつかある。三人のジャックに加えてドファルジュ氏もジャック、道路工夫もジャックと呼ばれているので、 誰が誰に言っているのかがあいまいなところが多いのだ。

第二部第十五章<編み物> (二都物語の日本語訳 (精読)- 1 で少しとりげた)

<そして、いいか、ジャック> 膝をついていた三番が、指で相変わらず口や鼻の神経をさすりながら言った。なにかをひどく欲しがっているのは明らかだが、それはた食べものでも飲み物でもなかった。<護衛や騎馬兵や歩兵がみなして嘆願者を取り囲み、けりつけたのだ。わかるか?>

なにかをひどく欲しがっているのは明らかだが

の<なにか>がよくわからない。原文は 

“And once again listen, Jacques!” said the kneeling Number Three: his fingers ever wandering over and over those fine nerves, with a strikingly greedy air, as if he hungered for something—that was neither food nor drink; “the guard, horse and foot, surrounded the petitioner, and struck him blows. You hear?

これはこの原文を読んでもよくわからない。a strikingly greedy air は相当強調された表現だ。この答えは、第二部二十一章<こだまする足音>、さらには第三部でジャック三番が再び登場してきてわかるようになっている。ところでstruck him blows は<けりつけたのだ>となっているが、<ける>ならto kick、kicks があるんので<なぐりつけた>だろう。

また原文では<指で相変わらず口や鼻の神経をさすりながら>の<口や鼻の>がないが、これは、この少し前にジャック三番の描写として、

Jacques Three, equally intent, on one knee behind them, with his agitated hand always gliding over the network of fine nerves about his mouth and nose;  

いう描写がある。このしぐさ、何か意味があるのかと調べてみたが、わからなかった。

さて、この白髪雑 (しらがまじ) りの道路工ドファルジュ夫人からおどしともいえる説教を受け、<さあ、村に帰りな>と言われて村に帰ることになる。第二部第十六章<まだ編み物>の出だしに村に帰った描写がある。<まだ編み物>の出だしは難しい。

(前略)一方、青い帽子の一点になった男は、闇に包まれ土埃 (ぼこり) の舞う、うんざりするほど長い並木道を歩き、今や墓にのなかにいる侯爵の館が木々の囁 (ささや) きを聞いている方向へ、ゆっくりとちかづいていた。

<青い帽子の一点になった男>は道路工夫のことだが、<青い帽子の一点>とはどういうことか? 原文は

while a speck in a blue cap toiled through the darkness, and through the dust, and down the weary miles of avenue by the wayside, slowly tending towards that point of the compass where the chateau of Monsieur the Marquis, now in his grave, listened to the whispering trees. 

 で a speck in a blue cap となっている。speck は汚点とかシミのことだが in a blue cap はどういう意味か? 文字通りでは<青い帽子のなかの汚点>だ。

a man in a cap は慣用表現で a woman in a red dress と同じとみていい。この道路工夫、人と話すときは青い帽子を手にもっているが、in a cap は帽子をかぶっているのだ。speck の方はドファルジュ夫人からおどしともいえる説教を受けたことの影響を暗示しているか。

続いて


石の彫刻の顔たちには、今では木々や噴水の音に耳をすます時間がたっぷりあった。時おり案山子 (かかし) のように瘦せた村人たちが、食用の野草や薪にする枯れ枝を集めるために、広大な石の前庭やテラスの階段にふらりと近づき、石の顔の表情が変わったように見えるのは空腹ゆえの幻覚だろうかと考えていた。

石の彫刻の顔たちには(xxxxx)時間がたっぷりあった。

とはどういうことか?

原文はかなり長い一文で、長すぎてよくわからなくなっている。

Such ample leisure had the stone faces, now, for listening to the trees and to the fountain, that the few village scarecrows who, in their quest for herbs to eat and fragments of dead stick to burn, strayed within sight of the great stone courtyard and terrace staircase, had it borne in upon their starved fancy that the expression of the faces was altered. 

英語では such xxx that yyy 構文がある。

 'such' can be used with a 'that clause' to show a result of the first clause.

 これにしたがうと

石の彫刻の顔たちには、今では木々や噴水の音に耳をすます時間がたっぷりあったので、(時おり)案山子のように瘦せた村人たちが、食用の野草や薪にする枯れ枝を集めるために、広大な石の前庭やテラスの階段にふらりと近づき、

 となるが、これもよくわからない。

ample leisure had the stone faces は倒置だが、これは後の now, for listening to the trees and to the fountain が the stone faces を形用 (修飾) しているからだろう。だが for listening to の for は何か? 単なる形容 (修飾) であれば for なしの 

the stone faces, now, listening to the trees and to the fountain

でもいいはずだ。だが

 木々や噴水の音に耳をすます (ための) 時間がたっぷりあった

であれば for が必要だ。for がないと

木々や噴水の音に耳をすましている石の彫刻の顔たちには時間がたっぷりあった(ので)

あるいは

石の彫刻の顔たちには時間がたっぷりあり、木々や噴水の音に耳をすましているた (ので)

でこれまたなんだかよくわからない。また<石の彫刻の顔たちが暇な時間を持つ>は擬人表現だ。これは上記の侯爵が殺されたときがあわただしかった時と比べてのことだろ。

原文の strayed が<広大な石の前庭やテラスの階段にふらりと近づき>となっているが to stray <は迷う、迷い込む>だ。

 石の顔たちの表情が変わったように見えるのは空腹ゆえの幻覚だろうかと考えていた。

 <と考えていた>とあるが、この部分は直接には原文にない。

 had it borne in upon their starved fancy 

も倒置で、これは普通 if を使わない仮定文で用いられる。だがここは仮定文か?

it はthat 以下の the expression of the faces was altered を指す。

さらに borne in upon は熟語のようで

If something is borne in on/upon someone, they are made to understand it:
 
Suddenly it was borne in on him that he was becoming too old to start a new career.

という解説があるが upon の後は人になっている。ここが<と考えていた>に相当するようだ。in ない bear on/upon も熟語で

bear on/upon something phrasal verb - to relate to and possibly influence / affect something

でこちらの方は upon の後はモノだ。

この次もやや難解。

村には住民たちと同じように細々とはかなく生き長らえている噂があった。

A rumour just lived in the village—had a faint and bare existence there, as its people had

これも擬人表現だ。原文は長い一文で、さらに噂の内容

that when the knife struck home, the faces changed, from faces of pride to faces of anger and pain; also, that when that dangling figure was hauled up forty feet above the fountain, they changed again, and bore a cruel look of being avenged, which they would henceforth bear for ever.  

が続く文構造になっている。難解というか、わからにくいところはまだまだ続く。

ごくたまに、ぼろを着た納付が二、三人、群衆の中から進み出て、石になった侯爵をのぞき見ることもあるが、痩せ細った指がそれを指して一分と立たないうちに、みな脱兎のごとく逃げ出して苔や葉になかに隠れた。もっとも、そこで不自由なく暮らしているウサギのほうが、まだしも彼らより幸運だったのだが。

原文は 

In the stone face over the great window of the bed-chamber where the murder was done, two fine dints were pointed out in the sculptured nose, which everybody recognised, and which nobody had seen of old; )and on the scarce occasions when two or three ragged peasants emerged from the crowd to take a hurried peep at Monsieur the Marquis petrified, a skinny finger would not have pointed to it for a minute, before they all started away among the moss and leaves, like the more fortunate hares who could find a living there.  

で日本語訳とずれがある。特に最後の


もっとも、そこで不自由なく暮らしているウサギのほうが、まだしも彼らより幸運だったのだが。

ここは 仮定部が明示されていないが、仮定構文の結論部で could find a living there. なので

もっとも、もしウサギたちが居てそこをすみかとすれば彼らよりまだしも幸運だろう。

あるいは

もっとも、彼らより幸運な (みじめでない) ウサギたちがいて、そこをすみかとしているだろうが。

さらには

みな脱兎のごとく逃げ出して苔や葉になかに隠れた。

とここで<(逃げる) ウサギのように>で<兎 (ウサギ) >が使われているので、

みな<(逃げる) ウサギ>のごとく逃げ出して苔や葉になかに隠れたのだが、もしウサギたちが居てそこをすみかとしていたとすれば、彼らよりは幸運 (みじめでない) に違いないだろう。

あるいは

みな<(逃げる) ウサギ>のごとく逃げ出して苔や葉になかに隠れたのだが、彼らより幸運 (みじめでない) ウサギたちが居てそこをすみかとしていただろう。

<まだしも>はなにか変だが、しらべてみると<まだしも>は難しいというか、面白い日本語だ。

ウサギのほうが、まだしも彼らより幸運

ウサギのほうがまだしも、彼らより幸運

でもまだおかしい。 

 

手元の辞書 (三省堂) では<しも>は強調という説明がある 。  

 おりしも、いましも、だれしも

<まだしも>は<まだ>の強調とすれば、強調しない<まだ>を使って

ウサギのほうが、まだ彼らより幸運だったのだが。

あるいは<まだしも>も<まだ>もない

ウサギのほうが、彼らより幸運だったのだが。

でよさそう。 

原文は more fortunate haresで幸運が比較級になっている。原文に忠実であれば<より幸運なウサギたち>、< (彼らより) もっと幸運なウサギたち>となるのだが、こういう言い方は日本語らしくない。

わけがわからくなってきた。 

 

<まだしも>は比較と譲歩の変形が絡んでいるようで、手元の辞書 (三省堂) の解説は

一方は許容するが、比較の対象のもう一方は許容しない>という論法 (修辞法、レトリック)。

女の花子ならまだしも、そんなことで男の太郎が泣くことはないだろう。
カメならまだしも、 ウサギがそんなにのろのろ走るとは考えられない。

こまかく言うと、これは結論が否定 (考えられない) になっているが、<まだしも>論法で否定が強調される。<なら>は仮定をするとも考えられる。If 構文の<もしxxxならば>は翻訳調で、<なら>で間に合うのだ。

これは人や動物に限らず、言動そのものにも使える。 

遅れ来るならまだしも、休む (来ない) とはなにごとだ。

 話がだいぶ横道にそれてきた。

<まだ編み物>の出だしはまだ難しいところが続く。これに続く箇所は日本語でも原文でも難しい、というか文学的なのだ。

館、小屋、石の顔、吊るされた男、石の床についた赤い染 (し) み、村の泉のきれいな水、-何エーカーもの土地―フランスのプロヴァンスの一フランスという国ーそのすべてが髪の毛一筋ほどの細い線になって、夜空の下に横たわっていた。同様に世界全体も、偉大なことも卑小なこともすべて含めて、またたく星の中にあった。たんなる人類の知識でさえ光を分析し、その構成要素を明らかにできるなら、もっとすぐれた知性は、この地上の弱々しい輝きの中に、あらゆる人間のあらゆる考え、あらゆる行為、あらゆる悪徳と美徳を読み取るかもしれない。

原文

Chateau and hut, stone face and dangling figure, the red stain on the stone floor, and the pure water in the village well—thousands of acres of land—a whole province of France—all France itself—lay under the night sky, concentrated into a faint hair-breadth line. So does a whole world, with all its greatnesses and littlenesses, lie in a twinkling star. And as mere human knowledge can split a ray of light and analyse the manner of its composition, so, sublimer intelligences may read in the feeble shining of this earth of ours, every thought and act, every vice and virtue, of every responsible creature on it. 

こまかいことを言えば、<またたく星の中にあった> は<lie in a twinkling star>なので<一つのまたたく星の中にあった>の意だ。

(続く)
 
 sptt
 
 

 

 

 

二都物語の日本語訳 (精読)- 5 中休み 修辞法(レトリック)

二都物語の解説を読むと修辞法の説明がある。ネットで調べてみると修辞法(レトリック)には 比喩表現 明喩、隠喩 (暗喩) 強調表現 倒置表現 誇張表現 と書いてある。 二都物語でも 修辞が使われている。難解な箇所は 隠喩法や誇張が使われて入るところが多い...